*
府中TM歩こう会
第112回

多摩川堤防ウォーキング
~府中市の東境、南境を歩く~

2025.05.18(日)

(記) 古曳 享司[1972法] 

第112回は2025年5月18日(日)実施しました。
当日は終日曇天。蒸し暑かったもののまずまずの日和。
集合場所(京王線武蔵野台駅南口(写真1)には5名の方が参集。
この日は「府中市の東境、南境を歩く」をテーマとしてpm1:10歩き始めました。


写真1 集合場所 武蔵野台駅南口

府中市は元々多摩川によって形成された河岸段丘の地。
市内にはこの崖線(府中崖線)を活用した散策路が数多く整備されてます。今回も先ずはこの一つである「いききの道」(府中崖線白糸台緑地)を経て東境を目指すこととしました。

最初にこの辺りの地名の由来を知ってもらいたいということで立ち寄ったのが本願寺、車返八幡神社(徒歩約3分)。本願寺門前の由来碑(写真2)によると概ね次のようでした。源頼朝が奥州藤原氏との戦いの折り、畠山重忠に命じて薬師如来を奥州から鎌倉に移送中、当地に野営したところ、夢枕に薬師如来が現れて自分をこの地に安置するようお告げがなされた。このため、載せてきた車だけをこの地から引き返させたとの故事あり。これがこの辺りの地名(車返)の由来とのことでした。


写真2 本願寺門前 由来碑

この後は、総戸数1,800を超えるマンモス団地(UR府中車返団地)を右手に垣間見ながら緑豊かな「いききの道」を更に東に東にウオーキング。
5分ほど歩いたところで「しみず下通り」に合流。この合流地点こそが府中市の東端。この地点に南北に走る道が府中市東境。府中市と調布市を分ける境界線となります。
ここから第1テーマ「府中市の東境を歩く」の開始です。
この道は市境といってもさほど広くはありません。真ん中を歩くことで右足は府中市、左足は調布市といった具合です。
その後、左手のゴルフ練習場(調布市)、右手の府中市押立第3公園を過ぎた先で右折し、「押立通り」で左折し、更に歩くこと約10分。多摩川堤防にほど近い押立神社に到着。

この押立神社について少し解説します。
慶長年間に山城国稲荷大神(現在の京都伏見稲荷大社)の分霊を鎮祭したのが始まり。万葉の昔から「てつくりの里」と詠われた土地柄ゆえに、創建当時は手津久里稲荷(テツクリイナリ)と称し、村民上げて尊崇されたと伝えられてます。創建当初は現在の多摩川の辺に鎮座していたところ、正保年間の大洪水のために多摩川の流路が変わり、村が南北に分断され、北岸が本村(現在の府中市押立町)、南岸が向押立(現在の稲城市押立)と呼ばれるようになったこと。このため、本神社の正式名は本村神社とのこと。御祭神は天照皇大神、稲蒼魂命、素戔嗚尊の三柱とのこと(以上境内案内板より) (写真3)。


写真3 押立神社案内板

その後は近くの龍光寺へ。ここには川崎平右衛門定孝の墓が祀られてます。同氏はここ押立村出身の農民でしたが、武蔵野新田世話役に取り立てられ、その後名主として多くの新田開発や多摩川の治水などで大きな功績を挙げたことで、次々に要職を歴任。後々には美濃国長良川の治水工事やら石見国大森銀山開発など全国各地で活躍することになり、最終的には江戸幕府の勘定吟味役という高位にまで昇りつめたという立志伝中の方。
「武蔵府中郷土かるた」の一つに「ききん救った平右衛門」とあります。お墓は都の旧跡に指定されてます。同氏のお墓の前でパチリ(写真4、写真5)。


写真4 川崎平右衛門定孝墓前にて


写真5 川崎平右衛門定孝墓を眺める

その後は押立文化センターで一休み。
同センターで20分ほど休憩した後ウオーキング再開(pm2:30センター発)。
ここからは第2テーマ「府中市の南境を歩く」の開始。
稲城大橋付近から郷土の森公園までは「府中多摩川かぜの道」(府中市の南境)を約4.0㎞、その後は「下河原緑道」を約1.5㎞経て高安寺まで (計5.5㎞)を一挙に歩き通すこととしました。

「府中多摩川かぜの道」はとにかく平坦。稲城市とを結ぶ是政橋は姿美しい斜張橋。スタート時の稲城大橋からは左前方遥かに見える是政橋を目指しひたすら歩け歩けの時間帯でした。生憎蒸し暑いの天気だったことから、「多摩川かぜの道の名に相応しいを渡る心地よい涼風に吹かれながら…」といった風情は望外。それでも解放感一杯。対岸の風景、河川敷の広大な景色を楽しみながらのウオーキングでした。
この時の様子は写真参照(写真6)。


写真6 多摩川かぜの道にて

あれこれ話し合いながら歩いているうちに遥か彼方だった是政橋に到着。
そこからはJR武蔵野線の下を潜り、その後郷土の森公園に到着。
かぜの道はここまで。第2テーマ「府中市の南境を歩く」もここまで。
ここからは右折し、下河原緑道に入り、北に向かって更に歩き続けました。
この緑道はここから市内中心部(高安寺近辺)までほぼ直線の遊歩道として見事に整備されてます。第109回報告記でも紹介しましたが、この下河原緑道は旧国鉄下河原鉄道跡地を利用したもの。明治43年に多摩川流域の豊富な砂利を都市整備、住宅整備など急拡大する多摩地域の旺盛な建設需要に活用していく目的の貨物路線として国分寺~下河原(府中市南町三丁目)に開設されたことがスタート。武蔵野線開通に伴い昭和51年に廃線となりましたが、府中市が国鉄から用地を譲り受けて自転車・歩行者道、花と緑の緑道として整備されたもの。旧国鉄といえば絶大な権限。安全第一で最適ルート確保に邁進したことは想像に難くありません。その跡地だけに実に平坦で、道幅も程よく、ウオーキングには快適でした。

その後は高安寺へ。
このお寺は平将門討伐や大百足退治で知られる藤原秀郷が武蔵守を務めていた頃の館跡とされるお寺。その後は室町幕府初代将軍・足利尊氏により、平和を願って全国に建設された安国寺の一つ、「龍門山高安護国禅寺」として再興されたと伝えられています。尊氏が改正する前の「高氏」から字を取って武蔵野の安国寺「高安寺」と名付けられたとされてます(同寺HPより)。山門は実に立派。東京都から歴史的建造物に選定されてます。境内に一歩入ると静寂な雰囲気に包まれます。境内には「弁慶硯の井」という古井戸が残されてます。源義経と武蔵坊弁慶が訪れた際、大般若経を書き写すため、この井戸の水を使用し墨をすったという伝説が伝わってます。 (写真7、写真8、写真9、写真10)。


写真7 高安寺入口


写真8 高安寺境内


写真9 弁慶硯の井にて


写真10 弁慶硯の井の碑

その後は下河原線広場公園に立ち寄り全員でパチリ(写真11)。


写真11 下河原線広場公園にて

以上この日は府中市の東境及び南境を巡るコースでした。
この日のウオーキング距離約13㎞、歩数約2万歩(以上筆者の自宅から)。
皆様本当に健脚でした。


写真12 今日のウォーキングルート


ウオーキング後は恒例により「アルコール会」に移動
(pm4:40打ち上げ会場到着)。
参加者全員で冷え冷えビール、新鮮なお刺身等々を堪能しました。
(写真13)。


写真13 アルコール会

(右から松井孝明、大島正敬、
小村裕ご夫妻、筆者【古曳享司】
敬称略)

最後に。当日参加して頂いた皆様 本当に有難うございました。
そしてお疲れさまでした。
次回(第113回)は12月初旬高尾山登山。下山後は府中駅近辺で忘年会を予定してます。
改めて案内します。皆様またご一緒しましょう。


掲載した画像はクリックすると別ウィンドウに小さい画像は拡大表示、大きな画像はそのままの大きさで表示します。


【参加者】5名
松井孝明(1983理工)、大島正敬(1978理工)、小村裕(1983政経)ご夫妻、
古曳享司(1972法)


 

 
Space
 Space