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戦後から70年目にあたる
今日に思う事

 

(記)中村 圭吾[S36商]   

一ヶ月後の8月6日に広島原爆被災から70年、そして8月15日には終戦から丁度70年目の節目の日を迎えます。

今から10年前、いなほ18号(平成17年11月12日発行)に“終戦から60年、広島原爆の目撃者として(8歳児の記憶)”と題して寄稿させていただきました。早いもので、あれから10年過ぎ、終戦から70年の日本の在り様を問う話題がマスコミを賑わせています。

毎年8月6日が来ると広島で、8月9日には長崎で原爆被災者慰霊の行事が行われていますが、これらは年一回の慣例行事化している感があり、全世界に発信している平和へのパワーも今一つ迫力が欠けているように思われます。

年が過ぎゆくと当然のことながら戦争の恐ろしさを体験した世代が減少し実体が風化し正確な伝承が難しくなっていくことが危惧されますが原爆も例外ではないでしょう。

私は首都東京の一等地に原爆資料館を建設し、世界各国から来日する要人や一般の人々が立ち寄りやすいもの、あるいは立ち寄らざるを得ない場所とし、平和を訴えていったらいいのではないか、との思いがあります。

10年まえの寄稿で、原爆で被災された若い母親と赤ちゃんが担架で運ばれていく様子を述べましたが、あの赤ちゃんがもし被爆されていなかったら今頃は元気で古稀を迎えている頃だろうと想像することがあります。

原子兵器を使用する戦争は戦争ゴッコではありません。人々がこれからながく平和に暮らしていくために、日本人が被った原爆の実体をしっかりと認識し、終戦から70年目と言う節目の年を皆様夫々に考えていただきたく小文を寄稿させていただきました。
皆様が平和で健康で心ゆたかな日々を過ごされるよう願っております。