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府中TM歩こう会
第101回

神田川クルーズ

2018.07.24(火)

(記) 小林春男(S44商) 

午前10時45分日本橋の発着所に本日参加者11名全員が集合しました。
この数日記録的な猛暑が続いており本日の催事が無事に終了することが出来るか大変心配です。中止することも検討しましたがキャンセル料も発生するし又楽しみにしている方もおられるので2日前全員に万全の熱中症対策を講じるようにメールで注意をお願いしました。
係員から整理券を受け取った後全員で記念写真を撮りました。

日本橋の前で、参加者全員

日本橋の前で、参加者全員

11時、出航です。船は40人乗りの屋根のないもので私達の他には10人位の方達が乗船しており定員の約半数といったところです。本日の船長は女性で、他にはサブの航海士とガイドの女性です。ガイドの方が全員に麦わら帽子を貸してくれました。

この川は日本橋川と云い上流は神田川から分岐しており、下流は隅田川に合流する総延長約4.7Kmの川です。川の上空はほぼ全流域が高速道路で覆われております。元々は江戸城の濠だったものを数十回に及ぶ改修を重ねて現在の川になったそうです。左岸には何カ所も石垣があり江戸時代当時のまま残っている物はカミソリの刃も入らないと言われるほど精緻な姿で残っております。一方近年になってから護岸工事のために積み直された石垣は間に小石やコンクリートが入っておりかなり乱雑な感じです。そして石の所々には当時普請を請負った大名家の紋が刻まれております。府中競馬場の入口付近にも江戸城から運ばれた石に同様の紋が彫られた物があります。

左岸の石垣

左岸の石垣

参加の近藤さん

参加の近藤さん


日本橋から上流に向かってこの川に架かっている主な橋梁は以下の物です。 日本橋、常盤橋、鎌倉橋、神田橋、西木橋、一ツ橋、宝田橋、俎(まないた)橋。

船が20分程走り三崎橋を過ぎると神田川に突き当たります。後楽園、東京ドームの近くです。合流点を右折し隅田川に向かって東の方角に進みます。この辺りは中央線の水道橋、御茶ノ水駅の車中から神田川を見下ろすことが出来る馴染みのスポットです。先程までの日本橋川は上を高速道路で塞がれて暗渠の底を進んでいるようでしたが、神田川は川幅も広く両側が開けて峡谷の底を進んでいる様な気分です。

ここから隅田川までの主な橋とその近辺の駅や地名は次の様なものです。

・水道橋。 白山通り、JR中央線水道橋駅。
この先には江戸時代の神田上水の木製樋の跡があります。
・お茶の水橋。 本郷通り、JR中央線、総武線、地下鉄丸ノ内線
お茶の水駅。
ここでは前方に神田川を横切って地下鉄丸ノ内線が、右側には総武線の電車が走っているのが見られます。

お茶の水駅付近の神田川にかかる聖橋。
正面に見える丸の内線


左から柴田さん、権平さん、権平夫人

・聖橋 千代田区駿河台と文京区湯島を結んでおりJRお茶の水駅の東端にある。
昭和2年に完成し名前の由来は両岸に位置する二つの聖堂、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶことから公募により名付けられました。


・昌平橋 外堀通り 右側に旧交通博物館があります。
・万世橋 国道17号線 かつての国鉄中央線万世橋駅、今は廃駅になり、おしゃれなショッピングモールになっています。左側は秋葉原電気街です。この先はJR山手線、京浜東北線秋葉原駅と神田駅間の鉄橋が架っています。
・浅草橋 国道6号 総武線、地下鉄浅草線、浅草橋駅。

浅草橋の少し上流から川の両側に夥しい数の屋形船が繋留されております。基本的には私達が乗っているクルーズ船と同じなのですが屋根があって外部から中は見えなくしてあり酒と豪華な料理が提供され言わばお座敷船で隅田川やお台場近辺の夜景を楽しむものです。

左岸にはいくつもの船宿が見られます。突然ガイドさんはマイクの使用を止めて肉声に変えました。屋形船や船宿の関係者に対する配慮の様です。この時間から今夜の客をもてなす準備をしているのでしょうか。
ガイドさんが面白い話をしてくれました。古来より日本の庶民のご飯は玄米が中心で白米は身分の高い人しか食べられませんでした。江戸時代には川を利用して水運システムが発達したためこの付近に全国の米が運ばれ保管されました。そのため江戸では一般の庶民でも白米を食べるようになりました。地方の武士や大名が江戸詰めの生活を送ると体調が悪くなり、地方に帰るとケロリと治ったことから「江戸わずらい」と呼ばれる病が流行しました。これは白米中心の食事のせいでビタミンB1欠乏による脚気を患った結果です。


乗船中の参加者一同


女船頭さん

・柳橋 隅田川に流入する河口部最下流の橋です。左岸は台東区柳橋で江戸時代からの古い花街です。明治時代には新興の新橋と共に「柳新二橋りゅうしんにきょう」と称され人気の盛り場として賑わいました。昭和3年には料理屋、待合あわせて62軒、芸妓366人の規模を誇り技芸も優れ新橋芸者より柳橋の方が格が上でした。戦後復興し昭和27年には料亭が57軒ありましたが昭和39年の東京オリンピック後衰退していき平成11年最後の料亭が廃業し200年近い歴史に終止符が打たれたという事です。歩こう会のS長老を除いては神楽坂も柳橋も私達には縁の遠い場所ではあります。

本日の周遊路

ここで右折し隅田川に入ります。2010年第66回歩こう会の催事で隅田川クルーズを行いました。隅田川花火や隅田川12橋等、私達には大変身近で親しみやすい場所だと思います。

・両国橋 少し行くと上を首都高7号が走り右側は浜町公園。
・新大橋 左側は小名木川。
・清洲橋
 
・隅田川大橋
・永代橋 ここから少し上流に戻った所が日本橋川の河口になります。左折して日本橋方面に向かいます。 
・豊海橋 湊橋を過ぎた所が霊岸島を包むように流れる亀島川の入口で先端には水位を調整するための水門が設けられています。 
・茅場橋 左側が茅場町、江戸初期に茅の商人をこの地に住まわせたそうです。 
・鎧橋 左側は兜町、株取引の中心地です。ヨロイとカブトのネーミングが面白い。 
・江戸橋 北側が魚河岸、当時都心の流通センターでした。 

丁度12時30分に予定通り日本橋発着所に戻ってきました。全員元気に帰ってきて何よりです。スタッフの皆様お疲れ様でした。特にガイドの方は90分間楽しい解説を訊かせて頂きありがとうございました。


さて、ここから昼食を予約している八重洲口の食事処「卯兵衛」まで20分位ゆっくり歩きます。午後1時店に到着、個室を用意してくれる予定でしたが店の都合で一般の席です。それでも端の方にゆったりした席を用意してくれました。生ビールで乾杯した後はビール、日本酒、ワインといつものようにアルコール会の反省会と称する宴会が続きます。おいしい肴もたらふくいただき15時過ぎにお開きとなりました。 皆様お疲れ様でした。

卯兵衛―1

卯兵衛―1 乾杯

卯兵衛―2

卯兵衛にて(卯兵衛―2)

卯兵衛―3

卯兵衛にて(卯兵衛―3)

卯兵衛―4

卯兵衛にて(卯兵衛―4)

今回の催事に関しては船会社との折衝から食事処の予約まで全て幹事の権平さんが骨を折って下さいました。厚くお礼申し上げます。


【参加者】11名(敬称略.アイウエオ順)
大野正道(昭40理工)・大野真美(昭42文)・加藤俊一(昭29法)
小林春男(昭44商)・古曳亨司(昭47法)・近藤雄一(昭34理工)
権平和照(昭38法)権平輝子夫人・柴田弘道(昭31法)
竹居義男(昭35教育)・森島清(昭36政経) 



 

 
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