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ラストゲーム試写会報告

於:  渋谷シネカノン試写室
2008.05.23開催

(記)大島 正敬[S55工研]  

校友会HPでも案内をしました、『ラストゲーム 最後の早慶戦』の試写会を5月23日に渋谷シネカノン試写室で開催しました。
この試写会は、鈴木副会長の尽力で製作協賛会社のADEX及びシネカノン社長のご厚意を得て実現したものです。
挨拶する鈴木さん会場となったシネカノン試写室は定員30名ほどの小さな階段教室のような部屋で、府中校友会会員始め、近隣稲門会、稲門祭運営委員の方が参加してほぼ満員。
試写会開始前、今回の主催者鈴木さんは「この映画はとても感動する映画です。私もこの前に見ていますが、この映画は3回は泣けます。皆さん、ハンカチやタオルの用意は十分ですか?」と挨拶。参加者一同、映画への期待に胸を膨らませて映画は始まりました。


参加された皆さん

参加された皆さん

映画は鈴木さんの挨拶のように、戦時中の苦しさでも青春を感じさせる感動溢れる映画でした。また、懐かしい安部球場や野球部寮である安部寮が見事に再現され、その風景を見るだけで、懐かしい学生時代に戻ったような思いがしました。
上映中はあちこちで鼻をすする音、ハンカチやタオルのこすれる音が聞こえました。

映画のストーリー

太平洋戦争真っ直中の中昭和18年の夏。その年の4月に東京六大学野球は「野球は敵国アメリカのスポーツだから」という理由で解散し、早稲田大学硬式野球部は試合の予定もないまま、ひたすら練習を続けていた。これは、顧問である飛田穂洲の「このままでは日本の野球は滅亡する。早稲田大学は最後の一枚になっても頑張りたい。また練習は教育である」との決意のもと続けられていた。

しかし、周りの環境はどんどん悪くなっていた。優秀な野球部員だった主人公の兄は「戦争は俺に任せて、お前は野球やれ。」と言い残し、中国の戦地へ。9月には 法文科系学生の徴兵猶予の停止が発表された。
これにより部員たちの多くがバットとグラブを捨て、銃をとらねばならなくなった。
徴兵検査は10月25日から、12月1日には入営と野球を止めなければならない時期は迫っていた。飛田穂州は徴兵猶予停止の説明の折に、「私は最後の日まで合宿所にいる。そして、最後には何か君たちの思い出となるようなことを実現させたい。」と悲壮な決意を語る。

ラストゲーム
ラストゲーム

そんなある日、飛田は慶應義塾の塾長小泉信三の訪問を受け、「学生が出生する前に早慶戦をやりたい。否応もなく武器を持たされて、戦場に駆り立てられていく若者たちに、せめて生きた証を残してやりたい。」との申し出を受ける。飛田は喜んで申し出を引き受ける。
しかし、その実現への道のりは容易ではなかった。
早稲田大学総長 田中穂積が反対したのだ。大学を守り抜かねばならない立場から、『強行すれば、文部省や軍の神経を逆なですることになる。』と頑なに許可しない。
10月に入っても大学側から試合の許可が下りず、部員たちは苛立っていた。
慶應側もなかなか連絡が来ないために練習を切り上げ、部員たちは帰郷していってしまう。
そんな折、主人公の兄の戦死の報せが入る。弔問に言った主人公の自宅で、これまで主人公が野球を続けることを快く思っていなかった主人公の父親から早慶戦の決行を懇願され、飛田は決行を決意する。
田中総長は早慶戦の決行を新聞で知り、激怒して飛田を呼び出す。飛田は己の決意を田中総長に訴え、田中総長はその決意に胸を打たれ、試合を許可する。
10月16日、遂に戸塚球場で6,000名の観客の下、最後の早慶戦は始まった。


懇親会

試写会終了後、渋谷駅南口近くの居酒屋に場所を移して懇親会を開催しました。
感動的な映画の後だっただけに、相互に映画の感想、学生時代の思い出に話を咲かせました。

参加された皆さん 参加された皆さん
参加された皆さん 参加された皆さん
参加された皆さん 参加された皆さん

参加者 合計27名(敬称略) 

府中校友会: 鈴木正明、小林茂樹、佐藤清生、増本寛、村崎啓二、
大島正敬、千年原聡、橋本好広、小松智子、
大野真美、大野正道、小代和三、菊池貞武
府中校友会員の
お友達:
千年原さんの友人、鈴木さんの友人(山口、形見)
立川稲門会: 古川、小林他女性3名
小平稲門会: 山口勝、山口さん夫人
町田稲門会: 大島英彦
荒川稲門会: 小太刀昌雄
太田稲門会: 佐藤裕彦
ニュー
オルリンズ
ジャズクラブ
OB:
平井昌美